命に嫌われている:考察

こんにちは! 今回は、カンザキイオリさんの有名な曲、
 
カラオケでもランキングの上位にいる曲ですね!
 
皆さんご存じだど思います。
 
「命に嫌われている。」 です!
 
今回はこの曲について考察していければなと思います。
 
カンザキイオリさんが表現した、「命に嫌われている。」という
 
曲名の意味について迫っていきたいと思います。f:id:naruruX:20200426101644j:plain
「命に嫌われている。」

作詞:カンザキイオリ  歌:初音ミク
作曲:カンザキイオリ
編曲:カンザキイオリ
 
「死にたいなんて言うなよ。諦めないで生きろよ。」
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。
 
実際自分は死んでもよくて
周りが死んだら悲しくて
「それが嫌だから」っていうエゴなんです。
 
他人が生きてもどうでもよくて
誰かを嫌うこともファッションで
それでも「平和に生きよう」
なんて素敵なことでしょう
 
画面の先では誰かが死んで
それを嘆いて誰かが歌って
それに感化された少年がナイフをもって走った。
 
僕らは命に嫌われている。
価値観もエゴも押し付けていつも誰かを殺したい歌を
簡単に電波で流した。
僕らは命に嫌われている。
軽々しく死にたいだとか
軽々しく命を見てる僕らは命に嫌われている。
 
お金がないので今日も一日中惰眠を謳歌する
生きる意味なんて見い出せず、
無駄を自覚して息をする。
寂しい」なんて言葉でこの傷が表せていいものか
そんな意地ばかり抱え今日も一人ベッドに眠る
 
少年だった僕達はいつか青年に変わっていく。
年老いていつか枯れ葉のように誰にも知られず朽ちていく。
不死身な身体を手に入れて、一生死なずに生きていく。
そんなSFを妄想してる
 
自分が死んでもどうでもよくて
それでも周りに生きて欲しくて
矛盾を抱えて生きてくなんて怒られてしまう。
 
「正しいものは正しくいなさい。」
「死にたくないなら生きていなさい。」
悲しくなるならそれでもいいならずっと一人で笑えよ。
 
僕らは命に嫌われている。
幸福の意味すらわからず、生まれた環境ばかり憎んで
簡単に過去ばかり呪う。
僕らは命に嫌われている。
さよならばかりが好きすぎて本当の別れなど知らない
僕らは命に嫌われている。
 
幸福も別れも愛情も友情も
滑稽な夢の戯れで全部カネで買える代物。
 
明日死んでしまうかもしれない。
すべて無駄になるかもしれない。
朝も夜も春も秋も
変わらず誰かがどこかで死ぬ。
夢も明日も何もいらない。
君が生きていたならそれでいい。
 
そうだ。
 
本当はそういうことが歌いたい。
 
命に嫌われている。
結局いつかは死んでいく。
君だって僕だっていつかは枯れ葉のように朽ちていく。
それでも僕らは必死に生きて
命を必死に抱えて生きて
殺して あがいて 笑って 抱えて
 
生きて、生きて、生きて、
生きて、生きろ。
 
 
今回も妄想を爆発させながら、ゴリゴリ書いていきたいと
 
思います。
 
 
「死にたいなんて言うなよ。諦めないで生きろよ。」
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。
 
心が病んでしまった人が良く口にしがちな、
 
「死にたい」という言葉。
 
みなさんは聞き覚えがありますか?
 
ここにはたくさんの意味が隠れていることを皆さんも
 
ご存じではないでしょうか?今回ここの「死にたい」
 
という言葉自体に深いことはありませんでした。
 
ここで深堀りしてきたいのはこの曲の登場人物です。
 
はじめは、心が病んでしまった人の実際の経験談
 
病んでいた時「死にたい」と発したときの周りの反応が
 
描かれていると思いましたが、
 
それよりもしっくりくるものがありました。
 
自分の大切な人が病んでしまった経験がある人の
 
体験談をつづったように見えました。
 
自分の大切な人が病んでしまって自殺してしまった」
 
というストーリーが一番しっくりきました。
 
自分の大切な人が病んでいるときに、思わずかけてしまった
 
「死にたいなんて言うなよ。諦めないで生きろよ。」という言葉
(かっこがついていることから、実際に発した言葉であるという根拠になっている)
 
そしてその言葉が、大切な人にとって、
 
負担になってしまった。
 
そのような過去から、病んでいる人に、
 
前向きになるような言葉をかけることが
 
そんな歌が正しいなんて馬鹿げてるよな。
 
馬鹿らしいと思うようになってしまった
 
ということを表しています。
 
 
 
実際自分は死んでもよくて
周りが死んだら悲しくて
「それが嫌だから」っていうエゴなんです。
 
皆さんも大切な人に対しては、自分なんておいといて
 
大切な人に生きててほしい。そう思いますよね....?
 
でも、その感情が沸く”みなもと”は、自分の心にある、
 
大切な人が死んだら悲しいという、自分の気持ちであり、
 
大切な人に生きててほしいという気持ちではない、と、
 
自分自身のことに対しても、皮肉かのように
 
嘲る様子が示されています。なぜ皮肉という表現を
 
したのかは、この後の展開にあります。
 
この大切な人を亡くした人は、周りの人に生きててほしいと
 
本当は願っています。
 
 
他人が生きてもどうでもよくて
誰かを嫌うこともファッションで
それでも「平和に生きよう」
なんて素敵なことでしょう
 
他人が生きているなんてどうでもいい、
 
自分の大切な人に生きててほしい、
 
なぜ自分の大切な人はいないのに、
 
他人は周りにたくさんいるんだ、
 
周りの人、他人を嫌いになりそうな時でも、
 
あくまでこれはファッションだと自分に言い聞かせている
 
主人公が見て取れます。なんて平和なんでしょうね。
 
 
 
 
 
画面の先では誰かが死んで
それを嘆いて誰かが歌って
それに感化された少年がナイフをもって走った。
 
自分が経験したことは、別に自分だけではない。
 
いろんな人がいろんな事情でなくなっている。
 
それを嘆く人もたくさんいる。
 
それに感化された少年がナイフを持って走る。
 
これは、病んでしまった原因を作った人に対しての
 
恨みなのか何なのか結局わかりませんでした。
 
特に意味はない、語呂が良かった歌詞
 
なのかもしれませんが、何かしら意味が
 
あるのでしょうか?
 
 
僕らは命に嫌われている。
価値観もエゴも押し付けていつも誰かを殺したい歌を
簡単に電波で流した。
僕らは命に嫌われている。
軽々しく死にたいだとか
軽々しく命を見てる僕らは命に嫌われている。
 
命。生きるための力。生きるための力に嫌われている。
 
生きるための力を促進する、前向きな言葉
 
「死にたいなんて言うなよ。諦めないで生きろよ。」
 
この、生きる力を促進する言葉そのものが、命を
 
攻撃している、ということから、
 
人は命に嫌われているのだと皮肉ながらに
 
表現しています。
 
これでタイトル回収はできたでしょうか?
 
 
 
 
まとめ
今回はこんな感じで書いてみましたがどうでしょうか?
しっくりくる部分はひとつでもあったでしょうか?
1番はなかなか思うものがあったと思います。
2番は1番と少し流れが変わって、
生きて生きて、と言っています。
これは、本当はどういう歌が歌いたいのか
きづいたことから、心境が変化したものと
思われます。2番は細かくはやりませんが
もし希望が多ければやりたいと思います。
また見ていただければなと思います。
こんな風に感じた!こんなストーリーも
あるんじゃないの?と思った方は
コメントのほうも待ちしております。
見ていただいて本当にありがとうございました!